能代役七夕ねぶながし
8月6日・7日
能代市街地・米代川河口付近
能代の七夕行事は前述の『奥のしをり』天保13年(1842)にも記述されているとおり、江戸時代から五町組を呼ばれる町人組織により年番制により行われてきました。
年盤制度の内容には多少変化もありましたが、明治18年までは交互に、翌年19年からは五町組による年番制となり、現在も引き継がれています。
年番にあたる組の町(おおちょう)内間でもその年の代表となる町内を大丁と言い、年番制の他町内は加勢丁として行事を担います。年番にあたる町内は、それぞれ重要な役目を担うことで能代七夕は成り立ってきました。
そこから役七夕という呼称が生まれたと考えられます。
役七夕という呼称は、萬町(あらまち)の呉服商相沢金一郎の明治30年の日記に初めて見られるものです。「萬町当番なり。役七夕は大町村上与兵エの作にて五丈なり。宮島の景なり」とあります。また俳人である河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が能代を訪れた際には明治40年の私信に「役七夕といって、鯱鉾(しゃちほこ)を乗せた大灯籠を作るのは萬町の当番・・・」とあります。
明治後期に役七夕の呼称が使われていたことがわかります。
五町組
役七夕を運行する現在の五町組は大町組(おおまち)・上町組(かんまち)・萬町組(あらまち)・清助町組(せいすけまち)・柳町組(やなぎまち)により構成されます。この五町が年番により役七夕を運行しますが、五町には親丁(おやちょう)があり、各親丁はそれぞれ枝丁(えだちょう)を持ちます。現在灯籠を出す町内は以下のとおりとなり、それぞれの町内の七夕運行のための組織を若と呼びます。
親丁 | 枝丁 |
---|---|
大若 | 冨若・下川反若・冨新若 |
上若 | 畠若・畠新若・東若 |
萬若 | 中若・幸若・上川若・羽立若 |
清若 | 馬若・御若 |
柳若 | 新若・出若・本若・新柳若・柳新若・住若・栄若・後若 |
各組は五年ごと当番組となりそれに属する各町が灯籠をだします。当番組のなかでその年の代表となる大丁が決められ、それ以外の組は大丁を加勢する加勢丁として灯籠を出します。そもそも五町組は江戸時代の能代奉公の町方統治の仕組みとして発生したとされ、町人による組織として七夕行事や日吉神社御神幸祭などの祭などで今も機能し続けています。
(※現在の五町組は明治32年以降からのもの。後若に代り柳若が親丁に。)
平成29年の能代 役七夕(ねぶながし)
平成29年の役七夕では上町組が当番組にあたり、大丁を畠町新丁(畠新若)が務め、上町(上若)、畠町(畠若)、東町(東若)が加勢丁として4基の灯籠が6日、7日の二日間能代の町を曳き回されました。
8月1日
午前
6日、7日の役七夕本番を前に、鎮守の日吉神社で祈願を受けた後、会所開きが行われます。
午前
大丁の畠新若が加勢丁のそれぞれの会所へ、応接と呼ばれる役目の人が協力要請に出向きます。それに対し加勢丁は大丁へ返礼に訪れ、協力する旨を伝えます。応接も返礼も昔からの慣わしの口上があり、今も続けられています
午後
この日の夕方、大丁の畠新若会所では全員が揃い会所開きが行われて音頭上げ、太鼓の打ち初めも行われました。
8月5日
夕方
大丁の畠新若では七夕灯籠の上部に掲げられる鯱(しゃち)の目に墨を入れる魂入れ式が厳かに執り行われ、いよいよ灯籠の組立てとなります。
8月6日
12:00〜
いよいよ大丁をはじめ加勢丁の各若は、それぞれの灯籠を曳き回す、自丁廻丁が行われます。役員を先頭に、子どもたちの田楽灯籠を先頭に太鼓、笛が続き、大勢の若者たちが灯籠を曳きます。
←↓大丁畠新若の自丁廻丁
↓加勢丁の自丁廻丁
15:30頃〜
自丁廻丁を終え、休憩ののち15:30頃に能代駅近くに各若の灯籠が集まります。
四丁揃い
16:00頃〜
いよいよ四丁の灯籠が揃って町を練る全廻丁の開始です。
18:30頃〜
灯籠は再び能代駅近くに戻り、大休止を迎えます。
19:30頃
四丁の灯籠は再び廻丁に。
21:50頃
残りの廻丁を終えて三度、能代駅前に集合してこの日の解散式が行われます。
8月7日
二日目は灯籠から上部の鯱(しゃち)が取り外され、鯱のみの灯籠が曳き回されます。夜には米代川に鯱を浮かべて火がかけられ流されます。これを「鯱流し(しゃちながし)」といいます。
早朝
灯籠から鯱を外し山車に乗せます。
13:30〜15:30
鯱の灯籠がそれぞれ自丁廻丁を行います。
17:00
前日同様四丁の鯱灯籠が集結して米代川へ向けて廻丁します。
18:30頃
鯱は米代川に到着して筏に移されてクレーンで米代川に浮かべられて鯱流しが行われます。
いよいよ四丁の鯱に点火され、囃子は「流し囃子(ながしばやし)」に変わります。
20:40頃
四丁は鯱流しを終えて、鯱を外した山車を曳き、解散手打ち式が行われる能代駅近くに集まります。
解散手打ち式を終え、それぞれ会所に戻り自丁の手打ち式を行います。