檜山舞ひやままい
檜山崇徳館
能代市の上母体に伝わる番楽で「母体番楽」とも呼ばれ、8月14日の上母体の八幡神社祭礼に奉納されてきたものです。近年では、毎年7月に檜山崇徳館(注1)のイ ベント「歴史の里檜山・納豆まつり」(注2)で公演されています。その起源は永禄年間(1558~1570)とも天正年間(1573~1592)とも言われますが定かではあ りません。上母体の八幡神社は檜山安東氏の居城である檜山城の鬼門に位置し、安東氏に庇護された歴史を持ち、その地で継承され続けた番楽と言われます。宝暦12 年(1762)の『出羽国風土略記』にも檜山舞についての記述が残っています。
演目は露払、鳥舞、翁、三番叟、鈴木三郎重家、恵比寿舞、紅葉狩などがあり、それぞれ番楽面や烏帽子、鎧などを身に着け舞うものですが、それぞれにストーリーを持っています。例えば、露払いは武士太夫という侍が所領を賜り、そこに初めて移った喜びを表現するというものです。鈴木三郎重家は義経を慕い平泉を訪ねて義経と対面するという筋があります。囃子は太鼓、笛、摺り鉦、拍子木の他に角材の打ち棒で舞台板を叩く板拍子で構成されます。
注 1) 檜山崇徳館/能代市檜山字霧山下104
檜山安東氏の本拠地であった檜山の中心に位置しています。
注 2) 「歴史の里檜山・納豆まつり」は、江戸時代から続く製法で作られる「檜山納豆」の普及と地域の伝統芸能などを公開するイベントです。
檜山は、秋田音頭にも唄われている「檜山納豆」のみならず江戸時代から続く北限のお茶の産地でもあり、「檜山茶」は今も栽培されています。
【参考】『能代市史特別編民俗』2004能代市史編纂委員会