能代鎮守日吉神社 例祭

御神幸祭

7月26日・27日
能代鎮守日吉神社・能代市街地

  1. 御神幸祭
  2. 運行

日吉神社御神幸祭絵図

坂本慶斎筆 (日吉神社蔵/明治26年奉納)には、日吉神社の起源から神幸祭の様子が詳細に描かれている。

日吉神社御神幸祭絵図の丁山・部分

能代鎮守日吉神社の由緒によると、天文2年(1533)というまだ町も形成されていなかった頃の能代で突然と海が光り輝く現象がおこりました。そこで一人の漁師が網を入れるとご霊光が浮かび、その夜に郷の長の枕元で神様が現れる霊夢を見たのです。翌日再び漁師らが浜へ出向きご霊光をご神体として奉戴して、建立したといいます。

御神幸祭は、かつての聖地を御旅所として神様が里帰りする祭です。寛文4年(1664)日吉神社が現在地に遷座した後、神幸に際して五丁組の丁山も御旅所まで巡行するようになりました。

日吉神社は山王社とも呼ばれ。御神幸祭については『清街筆記』佐藤哲阿弥 天明8年(1788)、『六郡祭事記』文化年間(1804〜1818)、『伊頭園茶話』石井忠行(1818〜1894)にその様子が詳しく記されています。

五丁組の丁山丁山はそれぞれの組が奉戴する守護神を祀った山車

大町組/三番叟
上町組/鍾馗
萬町組/猩々
清助町組/恵比寿
後町組/大黒天

※丁山は昭和24年の火災で消失しますが、昭和51年に揃って復興したものです。

※御神幸祭の五丁組は役七夕の五町組とは異なり後町が入りますが、これが江戸時代からの五丁組であり、役七夕の五町組は明治期に後町組から柳若組になったものです。

平成29年の能代鎮守日吉神社 例祭御神幸祭

7月1日

11:00

御旅所清祓祭

清助町の日吉神社御旅所において清めの神事が執り行われます。

この日の神事には今年の当番町の大町組が参列しました。


7月25日

早朝

大町組、上町組、後町組の丁山が日吉神社境内の倉庫から蔵出しされ、各町に運ばれ各町内を廻丁します。

7月26日

早朝

清助町組、萬町組の丁山が蔵出しされ、各町内を廻丁します。

丁山の自丁廻丁
16:00

日吉神社宵宮祭が執り行われます。

7月27日

10:00

猿田彦行列、神輿が日吉神社から清助町の御旅所へ向かいます。

神輿の後には、五丁組の丁山が続きます。

御旅所に続く坂道
重厚な神輿は休み休みの神幸
神輿は急勾配を御旅所へ
16:00

神輿が御旅所へ到着して神事が行われます。

御旅所に続く坂道

丁山は御旅所へ続く坂道で待機し、神事終了後、神社へ向かい蔵に収めます。

神輿は夕方まで御旅所に留まります。丁山を運行していた五丁組の若者が装束をあらためて、神輿の担ぎ手となります。

17:00

神輿は神社に向けて御旅所を発輿。

帰路、能代の町を拓いた清水治郎兵衛政吉の住まいがあった大町の観音堂で神事が行われます。

19:00

神輿が神社に戻ります。

神社に戻った神輿は今年の神幸祭を惜しむがごとく、担ぎ手が神輿を揺らしながら社殿の回りを3周します。境内は掛け声と熱気に満ちあふれます。

担ぎ手は感謝を込めて何度も何度も神輿を高く掲げます。その後、境内の灯りがすべて消されて御神体を神輿から本殿に移す「御霊移し」が厳かに行われて、御神幸祭は終了します。

 

神社は鎮守として江戸時代から町の人々に親しまれてきましたが、五丁組は350年余りに亘り御神幸祭に丁山を 運行し、また神輿を担ぎその伝統を守り続けています。

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